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August

葉月

八月二十三日、京都では今も子供の為の地蔵盆を町区ごとに行う。地蔵菩薩は日本渡来の道程の中に独自の地蔵信仰を産み出し、中世以降子供を救うカミとしての性格を強めた。町区ごとにお地蔵さんが祭られ、誰とも知れず丹精こめた花等も供えられている。多かれ少なかれ、親にとっては子はいくつになっても、その親の終焉に至るまで、心に懸るものなのであろうか。子の息災を祈り、町角のお地蔵さんに手を合わすのも、おろかとも親心である。 昔、子供の時分、地蔵盆の頃になるとかまびすしい程ミンミン蝉が鳴いた。その声は、夏休みの終りの程ない事を告げる知らせだった。 仕残した宿題を未だずっしりと両手に抱えて、逃げて行く夏を此の手で捉えられればと、もの哀しい気分になったものである。楽しいことは、あっという間のことだったと。今もその頃に町を歩くと、たまに家内安全と書いた行燈の下に鬼灯ほおずきが吊るされているのを見る。その真赤な鬼灯 は、去っていく夏への惜別のうたであり、もうそこにある秋への扉。

Essay on August
*This essay cannot be translated
because it is
highly dependent on
Japanese cultural context.

文 佐藤年 (俵屋当主)初出 『婦人画報』
1993年8月号 「折節の韻律」

Text by Toshi Satow (Proprietor of Tawaraya)First published in Fujingaho,
August 1993 issue, "Rhythms of the Seasons"