January
睦月
歳の始め
門松は新しい歳の神を迎える依代よりしろとなす為、松は真直な形が 好まれる。根曳ねびきの松を、右に雄松、左に雌松と立てていたのが、何時の頃からか時代が降くだって、派手に梅や竹を配すようになったとか。私共でも近来それに慣ならっていたが、昨今は元の静謐な形に惹かれて、根の松に水引の結びを色々工夫している。 思うに、伝統と云うものは常に創意を加える事によって受け継がれて行くので、本来の理ことわりを踏まえれば、形は如何に変えても其々の時代の趣を反映して、むしろ形骸化せずに残って行くのではなかろうか。もっとも、本来の意味を理解せずに形式だけの仕来しきたりに振り廻される事は甚だつまらない事だと思うが。 人は時として、過ぎた昔への郷愁を心の寄辺として求める事がある。そのような時、慣しの形だけを模すのではなく、其れの依って来る所以を考えて、暮らしの中で自己流に生かしていけるものがあれば、折節の移り変りが殊更に身近に感じられて楽しい事でもある。
Essay on January
*This essay cannot be translated
because it is
highly dependent on
Japanese cultural context.
文 佐藤年 (俵屋当主)初出 『婦人画報』
1993年1月号 「折節の韻律」
Text by Toshi Satow (Proprietor of Tawaraya)First published in Fujingaho,
January 1993 issue, "Rhythms of the Seasons"
January 1993 issue, "Rhythms of the Seasons"